今のところ書店員の日記

書きおこしてみたい、考えたこと思ったこと

アプローチ

好きなものを、どう好きなのか、どこが好きなのか

好きなものについて誰かに話すとき、あるいは同じ好きなものについて誰かと語り合うとき

お互いの好きの違いについて、わりと鈍感になったり、きちんと理解ができていないことがあるかもしれない

そして自分でも違いをうまく説明できていないかもしれない

そんな風に思うことがたびたびあります

 

 

例えば同じバンドが好きだったとして、そのバンドのどこを好きなのか、どう好きなのか

歌声や演奏が好きなのか、楽曲が好きなのか、ライブ等のパフォーマンスが好きなのか、ビジュアル面が好きなのか、特に好きなメンバーがいたりするのか

初期の作品が好きで、最近の作品は惰性で聴いてるなんてこともあるし(悲しい話である)、逆に新たなファンというのは常に生まれ続けるものでもある

日常的に聞いていて情報も欠かさずチェックしているのか、たまに聞くくらいなのか、新譜だけは一応追ってる程度なのか

ライブにはよく足を運ぶのか、数年に1回程度なのか、それとも家で音源や映像を楽しむのか

音楽という表現だけにとどまらないバンドも多いし、メンバーが他のバンドもかけもちしているなんてこともあるので、ファンはますます多様になる

 

漫画でもそう

ある作品がとても好き、でも同じ作者の他の作品は特に好きではないなんてことはよくある

作品ひとつでも、ストーリーが好き、絵柄が好き、キャラクターが好きなどなど

追いかけるのも、最新話が掲載される漫画雑誌を読んでいる人もいれば、コミックを集めている人もいるだろう

漫画はよく映画化やドラマ化、アニメ化など映像作品の原作になることが多いけれど、それも原作ファン全員が見るとは限らないし、逆に原作を知らない人が映像作品だけを見るなんてことは大いにある

作品ひとつに大きな影響力があるのだ

 

創作的な例ばかり出してしまったけれど、これは動物とかスポーツとかにも言えると思う

動物は生き物だから関わり方が創作の世界とは大きく異なるし、スポーツは自身がプレーする側であることもあれば、応援者なこともある

 

 

ついつい◯◯のファン、最近の流行り言葉を使えばクラスタ、なんて言葉でひとくくりにしてしまいがちだけれど、好きのアプローチは様々で、みんな同じわけじゃない

それはお互い様であって、同じものを好きだからと言って、同じ感覚で話しているとズレや違和感を感じたりもする

 

余談だけれどそういう時、鉄道好きな人たちはとてもよいジャンル分けの中にいるんじゃないかなあと思う

撮り鉄に録り鉄に乗り鉄という、どう好きなのかのアプローチに名前が付いているあたり、それがうかがえる気がする

 

 

とにかく同じものを好きだとなんだかそれだけでうれしくて、分かり合える点も多いし、一緒に楽しめることも多いのはとても素敵なことだと思う

ただ、だからこそ自分の好きの枠を相手の好きに当てはめたりして、自分と違うアプローチをそれは違う、と捉えるのだけはよろしくないなあと思っている

にわかだとかミーハーだとかいう言葉でなぜかファン同士が評価したりされたりしてしまうことがあるけれど、そうでなくて

お互いどこをどう好きなのか話して、わかりあって、たまにわかりあわなくてもいいかもしれない

 

せっかく何かを好きになったのだから、その気持ちをお互い尊重して大切にしていきたい

いや、そんな固い言葉で表現して考えなくてもよくて、ただお互いに楽しく好きなものを好きでいられたらいいなと思うのでした